【競艇】植木通彦の伝説の数々をご紹介!事故や怪我・引退後の今は?
どうも。ムサシです。
1951年に初めて開催され70年以上の歴史がある競艇。
長い歴史の中には伝説と言われるレジェント選手が数多く存在します。
今回は、そんなレジェンド選手の中で不死鳥と言われた「植木通彦」さんについて徹底解説。
植木通彦さんの伝説の数々や、有名な大事故の詳細、引退理由や現在の活動についてご紹介するので、ぜひ最後までお付き合いください。
植木通彦選手のプロフィール・経歴について
まずは、植木通彦さんのプロフィールや経歴についてご紹介します。
名前 | 植木通彦(うえきみちひこ) |
---|---|
生年月日 | 1968年4月26日 |
身長 | 165m |
体重 | 51kg(現役時代) |
血液型 | O型 |
支部 | 福岡支部 |
出身地 | 福岡県 |
登録期 | 59期 |
級別 | A1(引退時) |
師匠 | 岡本義則 |
弟子 | – |
植木通彦さんは、福岡県北九州市出身の1968年生まれ、現在54歳(2022年時点)の元ボートレーサーです。
レース中の事故により大怪我を負ってもレースに出場し続ける姿から「不死鳥」という異名を競艇ファンからつけられ、今では松井繁選手らに並ぶ伝説の選手として語り継がれています。
登録期は59期で、同期には現役で活躍中の今村暢孝選手、びわこの総大将として知られる山田豊選手が在籍。
師匠は、走る教科書と呼ばれていた岡本義則さんです。
何度も弟子入りを断れれ続けたある日、台風によって引き飛ばされた岡本義則さんの屋根を修理したことで、念願の弟子入りを果たしたという秘話があります。
現役時代に弟子を指導していたということは確認できませんでした。
以上が、植木通彦さんのプロフィールです。
次は植木通彦さんの現役時代の経歴についてご紹介します。
1986年に福岡競艇デビュー
植木通彦さんの出身学校は、福岡市立小倉商業高等学校。
当時野球部に所属していた植木通彦さんは、高校2年生で中退します。
その後、全国モーターボート競争連合会本栖研修所の受験に見事合格し入所。
そして、1986年11月に地元福岡競艇でデビューし、2節目のボートレース芦屋で初勝利を上げました。
デビュー3年目に顔面75針を縫う大怪我を負う
初勝利後も順調に結果を残し順風満帆かと思われていた、デビュー3年目の1989年。
植木通彦さんが伝説と言われる所以にもなった大事故が起きます。
1月16日に桐生競艇で開催されたレースに出場した植木通彦さんは、スタート直後の第一ターンマークでバランスを崩し転覆。
落水した植木通彦さんは、後続艇のプロペラに巻き込まれれ顔面を切り裂かれてしまいます。
全治5ヶ月、75針の大怪我を負った植木通彦さんですが、驚くことに搬送中の救急車で「フライングはなかったですか?」と付添をしていた関係者に訪ねたとのこと。
常人なら喋ることさえままならないような状況で、自身のレース結果を気にする植木通彦さんのプロ意識の高さには感服です。
SG初制覇は1993年「第28回クラシック」
大怪我を負った植木通彦さんですが、約半年後に復帰。
怪我を負ってから復帰までの早さにも驚きですが、復帰の舞台に選んだのは大怪我を負った桐生競艇でした。
普通の選手ならトラウマやフラッシュバックを恐れ怪我を負った競艇場は避けるところですが、父親の進言に影響を受け桐生競艇を選んだそうです。
この経歴から「不死鳥」という異名が名付けられ、多くのファンから認知されました。
そして怪我を負った翌年の1990年に唐津競艇で開催された新鋭リーグ戦で自身の初優勝を達成。
デビューから3年後の1994年には、自身初のSG初優出とともに初優勝を【SG】第28回クラシックで成し遂げます。
その後も、数々の勝利を納めていた植木通彦さんですが、2007年に引退を電撃発表し、多くの競艇ファンから惜しまれる中、競艇選手としての幕を閉じました。
植木通彦選手の通算成績・優勝歴
植木通彦さんのデビューから引退までの通算成績は以下の通りとなっています。
出走数 | 5.46 |
---|---|
勝利数 | 30.30% |
勝率 | 50.98% |
2連率 | 102回 |
3連率 | 0回 |
事故率 | 0回 |
優出回数 | 0.17 |
現役として活動していた期間は短いですが、グランプリで3回、SGで10回、G1で23回優勝という素晴らしい結果を残しています。
特に怪我から復帰後の活躍ぶりが凄まじく、当時8つのSGをすべて制覇する「グランドスラム」に最も近い選手と言われていました。
植木通彦選手の伝説の数々をご紹介!
ここからは植木通彦さんがレジェンド選手と言われる所以にもなった伝説の数々をご紹介します。
競艇ファンなら誰もが驚愕のエピソードを是非ご堪能ください。
当時珍しかったモンキーターンを駆使
植木通彦さんは、転覆が非常に多く非常に危険とされていたモンキーターンという旋回技術を駆使し数々のレースで白星を上げています。
このモンキーターンは、史上初の大卒レーサーとして知られる飯田加一さんが考案した技術で、当時このモンキーターンを駆使している選手はほとんどいませんでした。
そんな中、植木通彦さんは様々な試行錯誤を繰り返しモンキーターンをマスター。
ついには、パイオニアでもある飯田加一さんをも打ち負かすようになりました。
いまでは、このモンキーターンを駆使しない選手はいないとされ、その背景には植木通彦さんの活躍が大きく影響したとされています。
公営競技初の年間獲得賞金2億円を達成
1994年に初の賞金王に輝いた植木通彦さんは、その後も沢山の賞金を獲得し1996年に公営競技初となる年間賞金2億円を達成しています。
自身の最高年間獲得賞金は2億8418万4,000円。
サラリーマンの生涯年収が2.5億円程度とされているので、一般人では到底稼ぐことができない金額です。
当時どれだけ植木通彦選手が活躍していたかが伺いしれます。
生涯獲得賞金は約22億円
植木通彦さんが、デビューから引退までの21年間に稼いだ金額はなんと…
22億6,184万円!!
この金額は引退当時で歴代3位、2020年時点で5位の記録です。
現役として活動していた期間は21年なので、年収に算出すると約1.0億円。
さすがレジェンド選手、稼ぐ金額も桁違いですね。
植木通彦選手の引退理由は?
植木通彦さんは、39歳という競艇選手としてまだまだ活躍できる年齢で引退を発表しました。
この記事を読んでいる方の中にも、突然の引退発表に戸惑った競艇ファンもいるのではないでしょうか。
ではなぜ植木通彦さんは突如引退を発表したのか?
その引退理由は、ボートレース桐生で怪我を負った時にすでに引退時期を決めていてその時期に差し掛かったからとのこと。
40歳を過ぎてこの危険な職業で稼ぎ続けるのは厳しいという意識が事故後に芽生えたのと、継続表彰される現役20年を達成したため引退を決意したそうです。
植木通彦選手の引退後の現在は?
2007年に引退をした植木通彦さんのその後の活動が気になっている方も多いのではないでしょうか。
そこで植木通彦さんの現在の活動を詳しくご紹介します。
ボートレーサー養成所の校長に就任
植木通彦さんは、引退発表した翌年の2008年に一般財団法人日本モーターボート競争会の理事職に就きました。
そして、4年後の2012年にやまと学校(現:ボートレーサー養成所)の学校校長に就任。
2017年には特命担当としてプロデビューを目指す養成所の生徒達を指導しました。
2018年5月の退任後は、BOAT RACE振興会のボートレースアンバサダーに任命され、競艇の魅力を発信する活動を開始。
PR活動の一環としてテレビをはじめとするメディアにも数多く出演しています。
プロならではのレース展開や予想はかなり参考になるので、ぜひ一度ご覧になってみてください。
植木通彦記念館が建設
植木通彦さんの現役時代の活躍ぶりが高く評価され、地元であり引退セレモニーも行われた若松競艇にフェニックスホールという植木通彦さんの記念館が建設されました。
この記念館には、現役時代に植木通彦さんが使用したボートや優勝トロフィー過去のレース映像が展示されています。
若松競艇に訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
ブログで自身の活動を発信
植木通彦さんは、ブログで自身の活動を発信しています。
これも、ボートレースアンバサダーとして競艇の魅力を発信するための活動の一環かもしれません。
更新頻度が非常に高く、ほぼ毎日ブログを投稿しています。
内容は、自身の出演番組の告知やレース解説が中心です。
中には、プライベートが垣間見える投稿もあるので、気になった方はぜひチェックしてみてください。
植木通彦選手は結婚している?家族について調査!
伝説の選手として語り継がれる植木通彦さんは結婚しているのでしょうか。
調査した結果、詳しい情報はでてきませんでした…
ただ、植木通彦さんご自身のインスタグラムの写真を確認すると、薬指に指輪をしているので結婚していると考えられます。
この投稿をInstagramで見る
その他の投稿では「娘の試作の試食です」と書かれていたので、子供もいるようです。
この投稿をInstagramで見る
また、インターネットの検索窓で「植木通彦 息子」という予測変換がでてくるので、もしかすると娘さんに加え息子さんもいるのかもしれません。
詳しい情報をお持ちの方は、口コミ投稿よろしくおねがいします。
植木通彦選手についてまとめ
今回は、植木通彦選手についてご紹介しました。
紹介した内容を改めてまとめると以下の通り。
- 高校2年生で中退し養成所を受験
- 1986年にプロデビュー
- デビュー3年目に顔面75針を縫う大怪我を負う
- 怪我の半年後に復帰
- 第28回クラシックで初SG制覇
- 生涯獲得獲得は22億円で現在5位
- やまと養成所の校長に就任
- ボートレースアンバサダーとして競艇の魅力を発信
- 結婚していて、娘さんがいる
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引退後の現在は、ボートレースアンバサダーとしてテレビなどのメディアにも頻繁に出演しています。
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