SG最年少優勝の服部幸男を完全解説!息子や嫁についてもご紹介!

今回ご紹介するのは、決まり手の一つである”まくり差し”の先駆者「服部幸男」選手。
服部幸男選手はSG最年少優勝という偉業を成し遂げたレーサーで、この記録は今も破られていません。
そんな若い頃から大活躍を見せる服部幸男選手は、引退の噂が囁かれています。
なぜ、これほどまでに活躍している選手が引退を噂されているのか、徹底調査しました!
この他、息子や嫁、現在の活躍についてもまとめているので、ぜひ最後までご覧ください。

早稲田大学を卒業後、新卒で某有名新聞社に入社。競艇を扱う部署に配属していました。その後、某有名競艇予想屋にスカウトされ、プロ競艇予想屋として活動。この時に競艇予想サイトの存在を知り「ボートレース・競艇予想ムサシ屋」として検証を始めることに。現在競艇歴30年を迎え、競艇に使った金額は3,000万円を超えました。皆様に安心して競艇を楽しんで頂けるよう日々尽力しています!
目次
服部幸男ってどんな選手?

名前 | 服部幸男(はっとりゆきお) |
---|---|
誕生日 | 1971年1月5日 |
身長 | 167cm |
体重 | 56kg |
血液型 | B型 |
出身地 | 静岡県 |
支部 | 静岡 |
登録期 | 64期 |
登録番号 | 3422 |
級別 | A1級 |
服部幸男選手は、静岡支部所属のA1級選手。
得意な走りは”まくり差し”で、この技を一番最初に始めた先駆者として有名です。
同期は総勢30人おり、中でも絶対王者こと松井繁選手とは養成所時代から良きライバル。
競艇界のレジェンドと肩を並べる服部幸男選手は、なぜ選手を目指したのか、生い立ちからご紹介します。
選手を志したのは父の影響
服部幸男選手の父は「服部正彦」元選手です。
幼少期からボートレーサーとして活躍する父の姿は、勇ましく憧れの存在でした。

その憧れは消えず一度は高校へ進学するも、父と同じ職業に就きたいという思いから17歳で高校を中退し養成所を受験。
見事1発合格で本栖研修所に入所しました。
養成所時代の呼称は「落水王」
1発合格で入所を決めた服部幸男選手でしたが、訓練生時代は水上を走るボートになかなか慣れず、落水を繰り返す日々。
その回数が多かったせいか、当時は「落水王」と呼ばれていたそうです。

ただ、落水王と呼ばれていたにも関わらず、養成所でのリーグ勝率は7.49で1位の成績。
服部幸男選手は誰よりも負けず嫌いなので、並外れた負けん気や努力の末、有終の美を飾ったのでしょう。
若い頃の暴走行為がデビュー後に発覚
トップ成績で本栖研修所を卒業した服部幸男選手は、1989年5月に地元浜名湖競艇でデビューしました。
ただ、デビュー後すぐに暴走族での暴走行為が発覚し、6か月の出場停止処分を言い渡されます。

夢だった父と同じ職業に就けたにも関わらず、最悪のスタートを切ってしまった服部幸男選手は深く反省。
これを機に暴走族とは決別し、気持ちを入れ替えて水上に戻ってきました。
服部幸男と松井繁の関係
デビュー当初から注目されていた服部幸男選手は、同期の松井繁選手のことを「永遠のライバル」として慕っています。

それは松井繁選手も同様で、互いに攻略するために日々訓練に励んでいたそうです。
当時の気持ちを答えている映像があったのでご覧ください。
服部幸男と松井繁のデビュー3年目の映像
お互いが意識しあって素晴らしい関係を築いてるのが伺えます#永遠のライバル pic.twitter.com/DBPIHw9BJR— すぅ (@amazing_pedaru) August 7, 2018
「あいつがいなかったら今の僕はない」という言葉は印象的で、服部幸男選手の選手生活に必要不可欠だったことがうかがえます。
さらに、松井繁選手は服部幸男選手のことを以下のように語りました。
あいつがいなかったら今の俺はないし、これまでのモチベーションは保てていない。
引用:ニコニコボートレース部
現役30年以上もお互いをライバルと認識しているのは、人生に欠かせない存在と言っても過言ではないでしょう。
服部幸男の成績
服部幸男選手のこれまでの成績をまとめました。
※1997年5月1日以降のデータです。
グレード | SG | G1 | G2 | G3 | 一般 |
---|---|---|---|---|---|
出走数 | 874 | 2276 | 233 | 489 | 2654 |
1着数 | 172 | 551 | 74 | 150 | 1084 |
勝率 | 7.61 | 6.77 | 7.30 | 6.49 | 7.39 |
3連対率 | 50.1% | 57.6% | 63.9% | 65.0% | 77.6% |
優出 | 18 | 62 | 7 | 20 | 165 |
優勝 | 1 | 14 | 2 | 8 | 53 |
引用:艇国データバンク
どのグレードの勝率を見ても見事な成績。
特に大舞台のSGでは、勝率7点以上を記録しているので、勝負強さがうかがえます。
そんな屈強なメンタルを持ち合わせる服部幸男選手は2022年8月に通算100Vという偉業を達成。
他にも、数々の偉業を成し遂げているので、順にご紹介いたします。
SG最年少優勝を記録
服部幸男選手は、1992年に21歳9か月という若さでSG優勝を果たしました。
これは、SG最年少優勝ランキング1位として記録されており、未だに抜かれていません。
ちなみに、2位は今村豊選手で22歳10か月と1年1か月の差があります。

SG最年少優勝を飾ったレースは、平和島で開催された全日本選手権競走。
6コースと不利な出走にも関わらず、第1ターンで凹んだ3コースの隙間をすり抜ける華麗なまくり差しを決めました。
その時の映像がこちら。
ルーキーとは思えないほどの周りを寄せ付けない走りで歴史に名を刻みました。
SGで逆転連覇
1995年に笹川賞(ボートレースオールスター)を制覇にとどまらず、同年に行われた総理大臣杯も制覇しSG連覇を成し遂げました。
総理大臣杯での服部幸男選手の節間成績を振り返ってみましょう。

節前半はイマイチ調子が出ず、6着を連発。
一度ペラを見直し、細かい調整を重ねたことで調子を戻し、中盤から1着連発で優勝戦に1号艇として乗りました。
迎えた優勝戦は風速8mで波高5cmと水面は荒れ気味。
難水面にも関わらず、コンマ07の完璧なスタートを切り、そのまま全速ターンで”まくり”を決めてSG連覇を果たしました。
史上19人目の24場制覇
2014年から全24場制覇の表彰制度が追加され、達成が近い選手は未制覇の会場への斡旋が増えました。
服部幸男選手は2015年時点で芦屋・徳山・丸亀と3会場残していましたが、2016年に芦屋と徳山を制覇。
翌年、2017年に丸亀を制覇し、史上19人目となる全24会場制覇を達成しました。

メダル受賞者としては第12号に刻まれています。
史上27人目の通算2600勝
これまで数々のタイトルを獲得してきた服部幸男選手は、衰え知らずの操縦で勝利を量産しています。
1997年から2025年現在までの1着数を平均してみると、年間平均70勝。
出場節数は年間で30節ほどなので、節間の1着数は平均2.3回でした。

安定して勝利を積み上げた服部幸男選手は、2024年大村競艇で史上27人目となる通算2600勝を達成。
「全然気にしていない」とクールなコメントを残しており、勝利に貪欲な姿勢で着実に白星を残してきた服部幸男選手だからこその偉業でしょう。
服部幸男の弟子は総勢4人
実力とセンスを兼ね備えた服部幸男選手は、自身の経験を活かして4人の弟子を受け入れています。
上記4名は全員A1級で活躍しており、佐々木康行選手を除く3名はまくり差しが得意。
そのため、服部幸男選手はプレイヤーとしてだけでなく、指導者としても非常に優秀ということでしょう。
服部幸男の生涯獲得賞金ランキングは10位
競艇界トップの活躍を見せる服部幸男選手の稼いだ金額は凄まじいです。
服部幸男選手の生涯獲得金額について調査した結果、21億300万円!

また、生涯獲得賞金ランキングでは10位に輝いています。
誰しもが憧れる億万長者となった服部幸男選手は、これからも生涯獲得金額を伸ばすと考えられるので、目が離せません。
服部幸男が噂されている引退の理由
服部幸男選手は長年にわたり、競艇界を牽引してきました。
そんな服部幸男選手にネット上では、以下2つの引退の噂が囁かれています。
- 出走停止処分でB1級に降格
- 平均引退年齢の超過
それぞれ調査したので、詳細をまとめました。
出走停止処分でB1級に降格
服部幸男選手は2021年前期の出走数が足らず、2021年後期にB1級へ降格。

長らくA1級をキープしていた服部幸男選手がB1級に降格したことに、驚くファンは多かったです。
出走数が足りなかった理由は、F2でフライング休みを科せられ、合計4か月出走できなかったことでした。
A1級の規定出走数は90走、A2級は70走に対し、服部幸男選手の2021年前期の出走数は50走と低迷。
そのため、A1級からB1級へ降格してしまいましたが、次期で再びA1級に復活してレジェンドの威厳を見せました。
平均引退年齢の超過
競艇選手は息が長い職業として有名で、2025年時点での最高年齢記録は高塚清一選手の77歳。
服部幸男選手は2025年で54歳なので、比較するとまだまだ続けられる年齢です。

競艇選手の平均引退年齢は46歳と言われているので、全体的に見ると長く活躍していることが分かります。
B1降格も相まって、服部幸男選手はそろそろ引退を考えているかと噂されていましたが、現在の活躍を踏まえると引退の可能性は低いでしょう。
服部幸男の息子と嫁は一般人
競艇では、同じ斡旋やペラ調整での交流をきっかけに、選手同士で結婚することが多いです。
トップレベルで活躍する服部幸男選手は昔からイケメンでモテていたので、結婚相手や息子が気になるファンが多数存在。
そこで、服部幸男選手の嫁や息子について分かったことをご紹介します。
嫁は4年交際した品川史絵さん
服部幸男選手の嫁は、6歳年下の一般女性である品川史絵さんです。
残念ながら、嫁の画像はありませんでしたが、2人は2002年に交際をスタートし、4年の交際を経て2006年5月に結婚。
幸せな家庭を育み、その5か月後の10月には元気な男の子が誕生します。
籍を入れてから5か月で子どもが生まれたので、授かり婚なのかもしれませんね。
息子は競艇選手ではない
2006年10月に子どもを授かったことで、服部家三代全員ボートレーサーが実現するのではないかと噂されています。
ただ、息子も競艇選手という情報は確認できませんでした。
2025年時点で19歳なので、競艇選手になる資格は十分にあります。
すでに働いているのか、はたまた進学しているのかは分かりませんが、30歳まで応募資格はあるので、競艇選手になる可能性はゼロではありません。
服部幸男選手がそうであったように、息子は父に憧れて競艇選手を目指すことも考えられるでしょう。
服部幸男のまとめ
今回は、服部幸男選手についてご紹介しました。
- 選手を志したのは競艇選手の父の影響
- 養成所時代の呼称は「落水王」
- 若い頃の暴走行為がデビュー後に発覚
- 松井繁は永遠のライバル
- 1992年SG最年少優勝
- 1995年SG逆転連覇
- 史上19人目の24会場制覇
- 史上27人目の通算2600勝を達成
- 弟子は総勢4人
- 生涯獲得賞金ランキング10位
- 出走停止処分でB1級に降格
- 平均引退年齢の超過で囁かれた引退
- 嫁は4年交際した品川史絵さん
- 息子は一般人
最年少SG優勝記録保持者の服部幸男選手。
一時B1級に降格するなど引退を危惧されていましたが、見事に返り咲き現在もA1級で活躍しています。
1997年以降SGの優勝実績がないので、今年こそSGを制覇してほしいところです。
レジェンド服部幸男選手の今後の活躍を期待して応援していきましょう!
この記事も読まれています
公式LINEにて"いま最も稼げる予想"を無料配信中!!

IDで検索する方は「@489swpee」です。
※先頭のアットマークを忘れないでください